2017年4月5日水曜日

言葉の花びらが散りゆく背景に真実の青空が拡がる

宇多田ヒカルさんが、どんな言葉並べても、真実にはならないから(花束を君に)、と歌えば、椎名林檎さんは、写真機は要らないわ、五感を持ってお出で(閃光少女)と歌う。本当のことを知りたいと思った時に、例えば検索をして言語を媒介した途端に言語による切り取られた制約が加わり、更に言語を発する側による恣意や作為が加わって真実には至らなくなる。それは写真機や映写機においても、映像や音を捉える時の視点や角度で欠落が避けられないことと似ている。映画アウトオブアフリカ(愛と哀しみの果て)で、小説家がアフリカの大地で農場を拓く時の計画と実行のズレやアフリカの大自然や友情や愛情を言葉で表現しようとするときの限界、例え、現地の子供達に英語を教えても彼らは明日の生活ではなく今日の生活を考える(既に英語の要らない生活をしている)という現地が支配するテーゼに晒されるシーンに現れる。するともう言葉に頼らずに五感をもってその場に行くしか真実には触れられず、それを言葉にして第三者に伝える時点で嘘になる、という宿命に至り、誰も真実には至らないという帰結に至る。ここで表現者に問われる誠実さとは表現者が是とするバランス感覚、対立軸をみて反対側からも観てみる、そして中立的立場の支点を何処に置くのか、その支点がずれてくる場合に正直にそれを告白することであろう。

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