2018年2月14日水曜日

ノイズとシグナルを正確に把握して厳格な取捨選択をする

人それぞれの年齢により残された時間でなし得る物事とその可能性が様々であるがある年齢を超えると恐らくなし得ないとみた方が良い物事が現れてくる。例えば文系に進んで就職後に改めて医師になれるのか、というような。このようなことはある程度の年齢を経なければ分からないことであるから、その年齢に至るまではあまり重要視されず、漫然と判断して漫然と過ごしてしまう。物事が両立し難く消去法での選択の結果、消去された選択肢の重要性に後から気付いても手遅れな場合があり、恐らく若い世代こそ、より細心の注意が必要になる。その際に、必要なことと不必要なことをよく考えて、ノイズとシグナルを見極めて、ノイズに惑わされないように基準を持っておくことと、自己の判断を必ずしも絶対視せずに別の視点や別の判断の可能性も考慮しておくと良いと思われる。例えば最終形審査ということがある。ある物事に関する判断として最終的にどうなるのかを大枠で審査しておく。例えば全ての物事を千年紀でみて選別する。その時にその物事が恐らく維持できないというのであれば、それは長期的には消え物であり、いずれ廃棄や変化が予定されるということになる。そのような物事に、自分の時間を使って良いのかは検討の余地がある。自分の人生を、その期間を超えた歴史という枠組みで意味を問えばやるべきことは極めて少なくなる可能性が高い。期間を少し短くして、人生の充実度という枠組みで見れば、自分の人生では最後の死ぬ瞬間まで残る物事に絞り込み最後まで使わない物事は途中で捨てる手間がかかるので最初から関わらないようにするという選別が働く。この流れで行くと当然ながら外出外食などの消え物に対する資金と時間の浪費は避ける方向に向く可能性が高く、外出外食の意図は遊興や社交と結び付くことは殆どない。健康に注意しなければ生活が危うい方であれば食事に細心の注意を払っている。この基準が厳しくなれば添加物や原材料や産地が自分で管理できないような外食はまず選択肢に入らないから全てを自分で選び自分で作ることを考えなければならない。これは食事に限ったことではない。

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