2017年3月3日金曜日

幸福の原理が失われる社会を眺める

幸福を経済と結び付ければ経済状態で不愉快になり、人間関係と結び付ければ関係の変化で不愉快になる。幸福と何らかを結び付ける限りその状況の構図は変わらない。更にその結び付きが精神に及ぼした不愉快な影響、例えば喪失感や不均衡を何らかをもって解消しようとすれば、その対象に結び付いた解決がまたその状況の変化により不愉快にさせる。対象を管理可能性のない外部、他人、物事に求める限り、その根本は変わらない。個の意思として、好きか否かが問われて、そこを起点に選択し、個の管理可能な物事を基礎として動線を描いて組み立てなければ幸福は持続しない。例えば、学歴を求めて学校を選び、安定を求めて職業を選ぶというように。個の外側から情報が入る場合には、常に、そうとは限らないが、を前置きしてから考える。それができないならば、社会からしばらく距離を置いて、例えば、山林に小屋を建てて、経済循環に組み込まれない仕組みにしたり、常に不特定の場所を移動して、特定の社会に拘束されない仕組みにする。個の意思として概ね納得できるのか、好きか否か、例えば事業そのものが好きで始めたことか、自分のペースで完全に止めたり、規模を変化することができるのか、それは生活の質に繋がる。その上で富の原理を組み立てる。他人がどうでも変わらないのに他人の都合に合わせ過ぎたお人好しではなかったか。自分を中心に好きなことをすれば良かったというような、後悔をするなら最初からやらない方が良い。

0 件のコメント:

コメントを投稿