2017年3月30日木曜日

築地で寿司を食べて東京国税局の公売に賭ける

築地市場の老朽化で、土壌汚染対策をした豊洲に移転する筈が、盛り土の施工がなく、環境基準を超える地下水汚染が判明して、移転中止と思いきや築地市場の地下にも汚染があるらしく、移転までの期間損失が毎日数百万掛かるなどで、この程度の汚染であれば豊洲移転をするか、という進退両難に陥っている。まず、この種の問題は、大抵、外部に現れた事象は氷山の一角で現時点で見えない問題が水面下に隠れていることが多い。例えば豊洲の水を一生飲み続けて発癌するのが数十万人に数人という例えは、現時点で現れた水質を前提としているので解答にはならない。地下水はより汚染されている可能性がある。これで判断を誤ったのが福島原発の冷却装置と津波の予測である。安全は現在の評価で、安心は将来のリスク、水面下の氷山を洞察しているので、議論は噛み合うことはない。現在の安全から将来の安全を決断すれば船は将来の氷山に衝突する可能性がある。単に、現時点で根拠はないけども可能性があるからやめておく、危うきに近づかず、という判断であって、そこに証拠は必要なく、汚染の程度が人体に影響を殆ど及ぼさないのに移転しないのは問題である、というのは誤りとなる。それは、そのような状況に至る過程が問題となるだろう。タイタニックが氷山に近づいた段階の問題と、氷山がある気温で加速した問題を分ける必要がある。仮に、豊洲に一時移転、築地市場の再開発後に回帰となってもそれはリスクを回避したコストと割り切る必要がある。このような判断は経営をしていれば定期的に発生していて、既に採用した物事に囚われず各情報に確信に至らずとも取りうるリスクの範疇で決断すれば良い。与党が分裂して都知事と選挙協力を約束してから都知事が政治判断する前に豊洲移転に反対する、しない、と立場を決めるのも自由であろう。ここで選挙協力を前提に先の決定に従うのか、選挙協力を解消して違う結論に向かうのかも自由な決断で構わない。この種の判断は、他人には言えないが内心は何と無く嫌な予感がする、というもので対象に根拠はいらない。婚約した女性が婚約者とゲームをした時に婚約者が敵キャラをボコボコにやっつける姿を見て、何と無く嫌な予感がする、という時にそのまま結婚するかという状況に似ている。予感が現実となるのは、結婚後、喧嘩になったときで、女性は配偶者にとって敵キャラに重なり、ボコボコにされてから離婚を決意するのである。

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