2017年3月31日金曜日
食材ビンゴが揃ったので明太子スパゲティを作る
深底のフライパンに1Lほどの水を張り中火で沸騰させ、塩又は味の素とオリーブオイルを入れた後、有機スパゲティのソルビオーネレオを適量、成人男性が親指と人差し指で輪を作ってできる円周で成人2人分を入れて、スパゲティがフライパンの中でドーナツ状に巻くような形で茹で、色が薄い肌色に変わったら菜箸で笊に上げて湯切りする。フライパンの湯を50mlほど残して皿に移して皿を温めてから捨てた後、ふくやの博多明太子を半分、20グラム程度入れてフライパン上で崩し、グレープシードオイルを50mlほど入れてかき混ぜ、明太子の粒が分散したらスパゲティを入れて明太子を満遍なく行き渡らせる。水分が飛ぶとスパゲティ同士が間隔を空けた状態になる。皿の上に、ヒマラヤ岩塩ピンクロックソルトをおろし金で薄く撒いた後、明太子スパゲティを乗せて、その上から薄くロックソルトを撒く。後は好みの飾りをして完成する。明太子やオイルはフライパンに一切残らない、オイルはスパゲティに吸収されている
2017年3月30日木曜日
築地で寿司を食べて東京国税局の公売に賭ける
築地市場の老朽化で、土壌汚染対策をした豊洲に移転する筈が、盛り土の施工がなく、環境基準を超える地下水汚染が判明して、移転中止と思いきや築地市場の地下にも汚染があるらしく、移転までの期間損失が毎日数百万掛かるなどで、この程度の汚染であれば豊洲移転をするか、という進退両難に陥っている。まず、この種の問題は、大抵、外部に現れた事象は氷山の一角で現時点で見えない問題が水面下に隠れていることが多い。例えば豊洲の水を一生飲み続けて発癌するのが数十万人に数人という例えは、現時点で現れた水質を前提としているので解答にはならない。地下水はより汚染されている可能性がある。これで判断を誤ったのが福島原発の冷却装置と津波の予測である。安全は現在の評価で、安心は将来のリスク、水面下の氷山を洞察しているので、議論は噛み合うことはない。現在の安全から将来の安全を決断すれば船は将来の氷山に衝突する可能性がある。単に、現時点で根拠はないけども可能性があるからやめておく、危うきに近づかず、という判断であって、そこに証拠は必要なく、汚染の程度が人体に影響を殆ど及ぼさないのに移転しないのは問題である、というのは誤りとなる。それは、そのような状況に至る過程が問題となるだろう。タイタニックが氷山に近づいた段階の問題と、氷山がある気温で加速した問題を分ける必要がある。仮に、豊洲に一時移転、築地市場の再開発後に回帰となってもそれはリスクを回避したコストと割り切る必要がある。このような判断は経営をしていれば定期的に発生していて、既に採用した物事に囚われず各情報に確信に至らずとも取りうるリスクの範疇で決断すれば良い。与党が分裂して都知事と選挙協力を約束してから都知事が政治判断する前に豊洲移転に反対する、しない、と立場を決めるのも自由であろう。ここで選挙協力を前提に先の決定に従うのか、選挙協力を解消して違う結論に向かうのかも自由な決断で構わない。この種の判断は、他人には言えないが内心は何と無く嫌な予感がする、というもので対象に根拠はいらない。婚約した女性が婚約者とゲームをした時に婚約者が敵キャラをボコボコにやっつける姿を見て、何と無く嫌な予感がする、という時にそのまま結婚するかという状況に似ている。予感が現実となるのは、結婚後、喧嘩になったときで、女性は配偶者にとって敵キャラに重なり、ボコボコにされてから離婚を決意するのである。
タリウム事件判決でスタンドバイミーを思い出す
タリウム事件で無期懲役判決が出たので、その関連で検索をしていたら、3年B組の武田鉄矢氏が、恐らくフロイトのタナトス理論を引いて、思春期に性の登場が遅かった子は死に惹かれるとのコメントをされたようで、感心した。このコメントに触発されて思い出したのが映画スタンドバイミーで、主人公ら少年らが死体を探す為にひと夏のバッグパック旅行に行くと言う内容だった。この目的で少年らが共感して泊りがけの旅行が成立する、というテーマが先のコメントに関する同じテーマを扱っている。そしてリバーフェニックスは若くして亡くなってしまった。
2017年3月29日水曜日
スーパーの割引コーナーなどで食材ビンゴが揃う
兼ねてスーパーの割引コーナーでイタリア産デュラムセモリナのパスタを買い置きしていたが、先日、ふくやの博多たらこ1600円が半額セールとなったのでこれを買い、さらにコーヒーなどの食材屋でグレープシードオイルが800円が200円に割引されたのでこれを買い、総額1200円でたらこスパゲティの食材ビンゴが完成した。この結果、週5日の食事5回分を高級食材で賄うことに成功した。
2017年3月26日日曜日
タリウム事件の無期懲役判決で弁護内容に触れる
裁判員から、責任能力の主張に拘り量刑の主張がなく適切な弁護を受けていないのではないかとの意見があったと述べて、主文後回しで無期懲役判決を下したとの報道がある。裁判が始まるまで随分時間を要した筈なのに、裁判員から見て、仮に自身の弁護を依頼するには耐えない処理だったとの痛烈な評価をした印象を受ける。但し被告人は精神疾患がようで、弁護の適正を判断する能力があるか保証がない。全て無罪の主張と量刑の主張は両立せず矛盾するならば量刑の主張をすれば無罪の主張と相容れずトーンが下がるかも知れない。しかし各事件と平行して大学入試を経て、生死を分ける薬物を選択しているのだから、責任能力は認める方が多いと思われ、仮に何らかの精神疾患が平行して、それが犯行を増幅したとして、それは量刑に考慮される事情になる。先の指摘が事実であれば、それを判決で裁判員が触れることの当否はさておき、弁護として疑問符が付くのは当然であろう。酒に酔って暴れて覚えていなくても、呑み屋や客に侘びを入れるのは社会人として当然となる。被害の弁償などはどうなっているのだろうか。裁判員が、適切な弁護を受けていれば判決が変わるとヒントを与えているように読めるので、速やかに控訴して、弁護士を全員取り替えて、どのような弁護方針でやり取りをしたのかを詳らかにした方が良い。
2017年3月8日水曜日
深夜の東京駅から出張に出ると
多くの若い男女が深夜の東京駅八重洲口から夜行バスに乗って地方に散って行く。その待ち時間、午後11時を過ぎると地下の商店街は閉店し、ハンバーガー屋が多くの客を集めている。アジアの彼方で子供が縫製したショートパンツやスカートをトイレで脱いで、これまた同じようなジャージに着替えて、これまたどこで作られたか分からない肉を挟んだハンバーガーを食べながら友人や恋人が隣に居るのに5インチの液晶を触りながら最終便を待つ。バスが到着するとトイレで水を汲んで店で歯磨きをした後海外のネズミのプリントされた合成樹脂の塊を詰めた袋を行商のような姿で抱えて降りて楽しそうに帰って行った。
2017年3月5日日曜日
記憶される言動は社会を循環する
湾岸に建つ戸建賃貸の契約をしたところ賃借人から屋外構築物を除去しろとの言い回しでその構築物の連絡先に電話があり、それは構わないがその言い回しが紳士的でなかったことがあり、その連絡先が業者ではなく大家であることを指摘して、そんな言い回しをされる方には近隣との付き合いもあるので貸したくはないと言って話を終えたことがある。その賃借申込書には勤め先も明らかにされており、そのような情報が巡る中で、さらに、近隣との事業者間での繋がりもあり得る田舎のやり取りなのに。地方の社会は上位は顔見知りなので、ある問題行動があれば、その組織に属する上の付き合いにすぐに情報が流れてしまい、大変恥ずかしいことになる。例えば、地方にはゴルフ場は限られているし、出世する階層の出身校は絞られる、しかも平凡な日常の中で、少し感情が動くような非日常的な出来事があったとすれば、そもそも話のネタは少ないのだからというように。というようなことがあったとしても、とりあえず今日はスガキヤのすーちゃん祭りで特製ラーメン半額を食べることができた。昨日のイオンモールでは行列が30人以上で諦めたが、本日はユニーのモールでそれほど並ばずに食べることができた。
じゃんけんができない大人たち
生活や事業をしていれば、あらゆる物事が身の回りを離合集散しながら状況が良くなったり悪くなったりする。良好な人間関係に離別があったり、劣悪な人間関係や取引関係に嵌ったり。なかなか難しいのは元に戻ることで、そもそも時間は元に戻せないため過去に蓄積した物事に新たな物事を付け加えるのを止めたり、否定したりということが、例えばその蓄積から利益を得ているために難しくさせる。要はじゃんけんのように、掴む、切る、手放す、ということが大人になれば既設の関係性が複雑でできなくなる。一度掴んだらそのまま、本当に一生掴んだままで済むのであればそれほどシンプルな解はない、一生ものの一芸に秀でるというように。それができないならば何処かで切って手放すという場面がなければ次の何物かは掴めないことが多い。
2017年3月3日金曜日
ララランドは若い男女に
アカデミー賞絡みで、かつライアン・ゴズリングが出演しているララランドを鑑賞した。まず、ジャズ、ミュージカル、映画という米国の三大文化とその歴史が背景に厳然とあって、そのような文化のない日本では考えられない映画で、そのような文化的背景の中で男女が夢を追い、愛を育むことができるということが羨ましい。内容は、夢、仕事、恋愛の関係性をミュージカルで、美しい映像やプレイパフォーマンスで、喜怒哀楽が描かれていて、男女で観た後に相互に感想を言える関係性であるか、過去の経験にものすごく左右され得る。若い男女が観るべき、かつ、35歳前後の男女が観るべき、そこで感想を聞きたい映画だと思う。男女を問わず、自身に合わせた回想があり得る。
幸福の原理が失われる社会を眺める
幸福を経済と結び付ければ経済状態で不愉快になり、人間関係と結び付ければ関係の変化で不愉快になる。幸福と何らかを結び付ける限りその状況の構図は変わらない。更にその結び付きが精神に及ぼした不愉快な影響、例えば喪失感や不均衡を何らかをもって解消しようとすれば、その対象に結び付いた解決がまたその状況の変化により不愉快にさせる。対象を管理可能性のない外部、他人、物事に求める限り、その根本は変わらない。個の意思として、好きか否かが問われて、そこを起点に選択し、個の管理可能な物事を基礎として動線を描いて組み立てなければ幸福は持続しない。例えば、学歴を求めて学校を選び、安定を求めて職業を選ぶというように。個の外側から情報が入る場合には、常に、そうとは限らないが、を前置きしてから考える。それができないならば、社会からしばらく距離を置いて、例えば、山林に小屋を建てて、経済循環に組み込まれない仕組みにしたり、常に不特定の場所を移動して、特定の社会に拘束されない仕組みにする。個の意思として概ね納得できるのか、好きか否か、例えば事業そのものが好きで始めたことか、自分のペースで完全に止めたり、規模を変化することができるのか、それは生活の質に繋がる。その上で富の原理を組み立てる。他人がどうでも変わらないのに他人の都合に合わせ過ぎたお人好しではなかったか。自分を中心に好きなことをすれば良かったというような、後悔をするなら最初からやらない方が良い。
2017年3月2日木曜日
確定申告費用数十万円を節約する
個人事業や同族会社で事業を行い、収入を不動産に充てて賃料収入を得る場合に、不動産収入の方が効率が良いと感じるのか、事業の方が効率が良いと感じるのか分かれると思われる。労働集約型の事業の場合、人を雇って客に責任を負い、その他利害関係者に対するリスクを負ってまでやる事業と比較して、不動産、特に土地は価値の下落がしにくく、陳腐化しないことや安定収入となることを考えると前者の感覚を持たれて、次第に不動産事業にシフトする方が多い。即ち、店をやるより店を持ってやり時期が来れば店を貸した方が楽だという判断である。この場合の確定申告は一般と不動産であるが、不動産収入が上がり始め数年は税理士に頼むのも良い。もっとも、確定申告の控えを良く検証して、どこの数値がどのような計算でどこに記載されるのか、を把握して、毎年、会計手法をシンプルにして行き、ある段階で自己処理に転換するのが良い。既に、インターネットで説明を見ながら本人で申告書を作成することが簡単になっており、売上、経費、控除といった資料が揃えばサイト上で申告書を作成することができる。既に会計ソフトや税理士委任は小規模事業者にとっては不要な時代になっている。
https://www.nta.go.jp/tetsuzuki/shinkoku/shotoku/kakutei.htm
2017年3月1日水曜日
為替差益が丸亀製麺に向かう
昨日は28日にわとりの日で、ケンタッキーフライドチキンの割引があったが、為替レートがドル安で1000円以上の利益を確定させず、持ち越したところ夜になってドル高に振れた為、500円分の利益が出るだけのドルを売り、利益を確定させた。1日は丸亀製麺の釜揚げうどんの日で半額、4と5日はスガキヤすーちゃん半額デーとなるから為替変動に乗じて利鞘で支払いを済ませる。丸亀製麺は、天ぷらを買えば半額の意味を失うので我慢する。丸亀製麺のスマホアプリのクーポンで天ぷら半額となるが、併用できない。ユニーのモール内であればユニーファミマの商品券を使って、お釣りを貰うことができる。1000円の商品券は980円くらいで買えるだろう。イオンのモールは雨天の散歩に良いが、1分歩けば80円の時給を失うので、ついでの用事がなければなら採算に合わない。
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