2018年3月13日火曜日

ふりをしてやり過ごす社会

ある成績や学歴や資格や資産を取得しても、それらが実際に十分に使われたかどうかを問うとそうではないはずで、小さなころからそのような結び付きの弱いことを教えられる箱に入ることを半ば強制されるも反論や選択をする機会が与えられなかったら、いずれそれが正しいことと思い込んでしまう。それは自身が必要のない無駄なことをすることを正しいと信じるばかりか、それを他人に意図せず強要してもなんとも思わないことに繋がって社会は壮大な無駄に支配される。すると国民全員が壮大に何かのふりをしているのではないか議員ふり、裁判官のふり、社長のふり、会社勤めのふり、代金780円のふりというような、全部とは言わなくても一部の時間にそのような瞬間があればそれはふりになる。そのような部分は隙を与えて今までの信仰と異なる信仰にすり替える機会を与え、社会が断絶から衰退に向かう。

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