2018年3月11日日曜日

社会の健全性

10円のじゃがいもを買ってスライスして150円のチップスを売る場合、栄養価と馬力はじゃがいもに変わらないが価格は15倍になる。しかしその工程に時間とエネルギーの投下があり、その投下は栄養価と馬力の向上ではなく外見と食感に投じられている。現金とチップスの交換と消費で起きることは消費者からみて差額140円の喪失で外見と食感は瞬時に消えてしまう。労働力はじゃがいもで企業はチップス生産という構図において労働が自ら生産したチップスを買って食べていては金は貯まらない。個人がある時間を投ずるとしてそれが消費に向くか生産に向けるかという選択がある。さらに生産に向けるとしても、その生産された財が他者からの消費による資産移動や搾取に向く場合にそれを繰り返して蓄積された結果がどうなるのかを考える必要がある。社会の疲弊に繋がるかも知れないし、一般的に社会の構成員全員が四六時中ギャンブルをしている社会は健全ではないと言われるが、ギャンブルの外見はなくとも実態が生産消費活動を通じたギャンブルと同視できる帰結であればその評価は同じようなものになりかねない。

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