2017年6月20日火曜日

自由を求めて閉じた世界に迷い込み洗脳される

それぞれに与えられた時間は平等であっても、生まれたときには既にルールや貧富の差や土地建物といった資産の所有権が先行して存在し、その上で後発的に自由を得る為には既にある物事を破壊するか、その物事から自由である地位まで登り詰めるしかない世界では、既にその道程が閉じていて暫くの自由の制限を甘んじるしかないことが多い。例えば学歴を得る為の学業という時間制限過程のように。ある物事やリソースがそのような理由で制限されるとき、その制限において避けることのできない要素に毒を盛る、又は関所を作って関税を取るということができる。例えばキューブリックの映画博士の異常な愛情で、ソ連は水ではなくウォッカを飲むのは何故か、飲み水にフッ素を混ぜるようになった、という下りがある。それか占領下の日本で、以前は井戸水であったところが水道に替えて消毒の為に塩素を添加する、というように。現代であれば、ある思考の元で情報を自ら探したように見えてその情報に毒を盛るということがあるかもしれない。本来は、より自由な物事に制限を加える場合はその制限に応じた責任が付随するはずであるが、民主主義社会では多数決による決め事の為に少数者に対する責任は放棄される場合がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿